入選作品 五千円

今という時間を自分らしく生きるためのスイッチ!

読んだ本・『博士の愛した数式』小川 洋子

書いた人・みっちゃん

「数字を見たら蕁麻疹が出る」私はそんなタイプで、数学どころか算数のレベルで脳内が凍結されている…。
高校は奇跡的に、そして、大学は「数学がない」という理由で法学部を選んだくらいだ。

なのに、なぜか心惹かれたのがこの本だった…。ずっと嫌いだった数学がテーマの本だけど…ちょっと読んでみようかなとなぜか思ったのだった。

気づいたら私は、この本を手にして書店のレジに並んでいた。「ブックカバーをつけてください」などと意気揚々と店員さんにお願いしてさも「私は数学が解るんです」みたいなオーラを出して店を後にした。

帰宅後、夕食のサンドイッチを片手にさっそくページをめくる。博士と家政婦さん、そして家政婦の息子のルートとの奇妙な関係がとても心地よくて一気読んでしまった。食べるのも忘れて本に没頭したのは、高校生の夏休み以来だ。

読み終えたら時刻は深夜2時を回っていた。温かかったはずのコーヒーはマグカップの中でアイスコーヒーのように冷たくなっていたし、3つ入りのサンドイッチはカサカサになってお皿の上に2つ残っていた。カップ入りのサラダに至っては、開けてもいなかったという始末だ。きっとこれが実家のリビングだったら、母に怒られたことだろう数学が大嫌いな私は放って置けばずっと本を読んでいるような困った娘だったのだ。テーブルの上で置き忘れられたような食べ物をみて私
の脳裏のは「もう!いい加減にしてよ!」と笑いながら怒る母の顔が鮮明に浮かんだ。

博士の愛した数式の分中には、数学がところどころに散りばめられている。私には、その数式の意味は少しもわからない。でも、博士の苦悩や家政婦の気遣い、そしてルートに注がれる博士と母親の愛、そしてルートから博士への愛…この物語は数学と言うプラットホームの上に成り立つ愛のストーリーだった。

記憶が長く持たない…そんな博士は毎日毎日、自分の記憶を失いながら生きていくことになる。記憶はその人の経験値であり、そして、経験は人格を形成する上での重要な要素であるようにも思える。だが、記憶を失いながら生きていく博士のルートに対する愛は少しも揺らぐことがない。毎日毎日が初対面の子供を博士は、心から迎えそして「食事が足りないときはおじさんの分を取っていい」という親のような無償の愛を注ぐのである。

そしてその博士の愛情に、ルートも精いっぱい答える…。

博士が愛した、数式や野球、そしてルートとの時間がとてもキラキラと輝いていて、その情景や約束を忘れなかったゾというどや顔が目の前に浮かぶようだった。私はすっかり本に感情移入して、博士と家政婦、そして息子のルートの関係の中に自分も入り込んでしまった。

読み始めて30分程だろうか…私はひとりぐすんぐすんと涙を流していたし、ストーリーが進むにつれてどんどん涙腺が緩み…読み終えたときには、箱ティッシュをすべて使い果たして来ていた服の袖で涙を拭いていた。当然、翌日は目が腫れて別人のようなありさまだった。

この本は「今という時間の大切さ」を教えてくれた。

社会人になって、今を大切にすることより明日や来週、もっと遠くの将来のことばかりを考えて時間に追われていた私はまるで冷たい水をかけられたような気持ちになった。

あるがままの姿でなりふり構わずに生きること…。それは決して格好いいものではないけれど、人間らしさとはそもそもそういうものだと、博士は私に教えてくれたのだ。





この本は時に「数学が苦手な人にはおすすめしない」と言われることもあるだろう。だが、私のように「数学なんていっこもわからない」「数字を見ただけで蕁麻疹が出そう」という方にも、この本はぜひ読んでほしい。数学がわからなくてもいい…ありのままの自分をさらけ出すスイッチになるこの本をたくさんの人に読んでもらいたい。

読み終えたら、古本屋にでも売ろうかと思っていたこの本を、私は書棚にしまって、深夜3時にシャワーを浴び、残りの夕食を平らげて気持ち良く眠りについた。


博士の愛した数式 (新潮文庫)
小川 洋子
新潮社
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