何年か前に小さな川沿いを友人と散歩していた時、1つの立て看板が目に入った。
「この河川を暗渠化する工事を行います。」
誰も気にも留めないポツンと置かれた看板を、私が足を止めて凝視していたので、友人も足を止めて看板へ目をやった。
「何?この看板がどうかした?これなんて読むの?読み方も分からないし意味も分からない。」
友人は不思議そうに言ったが、特に興味は無さそうだった。
当時、私は結婚を約束していた人に突然一方的に振られて、しかもその人は私と別れてすぐに他の人と結婚した。
よくある男女の話だが、自分の身に起こるとは思ってもいなかった。
明日も今日の続きがあると信じて疑わなかった。
川の水も毎日同じに見えても、昨日そこを流れていた水と今日同じ場所を流れている水は別の水であるという事を私は認識していなかったのだ。
突然の事に私は戸惑い、自分の身に起こった事が信じられないでいた。
虚無感と劣等感と絶望感でボロボロだった。
大好きな仕事にも身が入らず、畳を掻きむしりながら泣いたり、ボーっと川沿いを散歩したり、ひたすら自分のどこがいけなかったのか考えたり、先が見えず不安になったりしていた。
友人が心配してたまに散歩に付き合ってくれたり、話を聞いてくれたりしていたが、気は晴れなかった。
唯一、私が失恋と自分の卑屈さを紛らわす事ができるのが読書だった。
同じ職場に、年は2つ下だったが役職は上の方で、仕事が出来てオシャレで賢く凛とした美しい女性がいた。
彼女とは読書の事でよく話した。
彼女は村上春樹ファンで、私にも勧めてきた。
彼女は私が勝手にイメージしていた、オシャレで世界的にも評価される村上春樹作品を読むのに相応しい人だと思った。
私ももちろん、村上春樹作品は知っていたが、なんとなくまだ手を出せずにいた。
当時話題になっていた「1Q84」を彼女が貸してくれた。
しかし、私はそれを借りた日に本屋へ走り、なぜか「ねじまき鳥クロニクル」を買った。
自分でも理由はわからなかったが、今は先に「ねじまき鳥クロニクル」を読むべきだと直感で感じたのだ。
次の日仕事だったにも関わらず、私は一晩かけて一気に「ねじまき鳥クロニクル」を読んだ。
もう寝なければと思いつつも、ページをめくる手が止まらなかった。
冒頭の看板にあった「暗渠」はその本の中に出てきた言葉だ。
「あんきょ。地下に埋設された水路や河川。」
散歩コースになっていた川の例の看板を見たのは本を読んだ数日後だった。
本を読んでいなければ、私も友人と同じく気にも留めなかっただろう。
本の中に入ったような不思議な感覚だった。
私はまさに突然予期せぬ流れに飲み込まれて、水はドロドロに汚れていて先の見えない暗渠へ流されていた。
「ねじまき鳥クロニクル」の主人公も、飼い猫と妻が突然失踪し、様々な不思議な出来事と人々に巻き込まれていく。
当たり前の日常が明日も来るとは限らない。
主人公は枯れた井戸に降りて過ごし、自分の深い自我へと潜り込んでいく。
ある女性に閉じ込められたり、また他の女性に助けられたりもする。
枯れていた井戸にはやがて水が満ちる。
私はなぜこの本を直感で選んだかわかった気がした。
読むべき時が来たからだと思った。
私も枯れきった自我の井戸へと毎日降りていた。
井戸の底から見えた心のアンテナにこの本が触れた。
私は「ねじまき鳥クロニクル」を何度も読み返し、暗渠の先に光を見つけ、井戸を少しずつ登る事が出来た。
今は私はとても幸せで、むしろいろんな感情に気づかされ、たくさん良い思い出を残して別れた彼に感謝している。
そしてこの本に出会えた事にも。
主人公と同じく、最初は枯れていた井戸に水が満たされていくのを感じた。
ドロドロだった水も次第に澄んでいった。
散歩コースになっていた川沿いの道を、ゆっくり川の流れを見ながら歩いてみた。
川は毎日そこにあったが、水は刻々と変化し続けて流れていた。
暗渠化されて道路になって、ここに小さな川があった事も忘れられていくのだろう。
川や私の水がどこにたどり着くかはわからない。
いろんな水と合流したり分流したりして、あるべき場所へと流れていくのだろう。
私はあの時、自分の心の痛みと共に、道路になっても、この下に私を癒してくれていた川の水の流れがある事をずっと覚えていようと思った。
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