入選作品 五千円

ヘッセのようには生きられなかったけど

読んだ本・『ヘッセ詩集』ヘッセ

書いた人・早嶋咲湖

「詩人になりたい。そうでなければ何にもなりたくない」
子供の頃のヘルマン・ヘッセはそう言ったという。そしてヘッセはドイツを代表する偉大な詩人となった。
私も詩や小説を書いて生きていきたいと願っていた時期があった。中学三年生の頃である。「ヘッセ詩集」を読んだのもその頃だ。

当時の私は中二病という、恐ろしく厄介で、完治の見込みが少ない病に冒されていた。
具体的に言うと、マンガのような絵を描き、キラキラネームのような名前に改名することを望み、世紀末の詩人になりたいとのたまい、ベランダや屋上へ続く階段に座り厭世的な顔をし、安全ピンや画鋲で身体を傷つけ、希死念慮に囚われていた。
根底には何者にもなれない自分へのいら立ちと、周りの人間と自分は違うはずだという特権意識があったのだと思う。
嫌な人間だ。
絵や詩をたしなむのはまだ良い。漫画家や小説家など夢は無限だ。しかし身体を傷つけたり、死に憧れを抱いたりするのはいただけない。もしも過去に戻れるなら当時の自分をぶん殴って正座させてこんこんと説教してやりたい。

幼少の頃から本はよく読んでいたが、「ヘッセ詩集」を買ったのは、こんな本を読んでいる自分凄いだろう、ということをアピールしたいという自己顕示欲や自意識があったからだ。
しかしいざ読んでみると、死や別れの苦しみ、老いへの恐怖、孤独などを詠んだ詩は、心にすっと入りこんできた。ほの暗く叙情的で、何度も繰り返し読んだ。人生経験も少ないくせに、共感した気になっていたのだ。
大人になってから読み返すと、死や別れ、過ぎ去った青春などの苦しみの中に希望のような光を見いだせるのだが、当時の私にはまだその光は見えていなかった。
何故誰も自分を見てくれない?何故何者にもなれない?何故愛されない?何故離れていくのに近づいた?何故産んだ?何故こんなにつらいのに生きていかなければいけない?
夜ごと何故を繰り返し、周囲を呪っていた。
全ては自分の心の問題であり、弱い自分がただ突っ立って動こうとしなかっただけなのに。自分で自分を孤独にしていた。

高校に入学して少ししてから、高校生が自分たちでイベントを作ったり、ボランティアをしたりする団体に関わることになった。
中二病は少し治まっていたが、代わりにひどい人見知りを発症していた為、おっかなびっくり参加していた。
そこでも肥え太った自意識や人見知りが邪魔をして、なかなか周囲と馴染むことができなかった。
しかし、似たような孤独を抱えた友人と出会い、小さな居場所のようなものができた。
慰めあうわけでも愚痴をこぼすわけでもなく、ただ同じ時間を過ごしていただけだったが、その友人の隣はとても居心地がよかった。
少しだけど変化が起きていた。
その頃の日記には「今日の集まりではこの前より少し話すことができた」という言葉がよく出てくる。本当に小さな変化だったが、それだけ嬉しかったのだ。

会いたいと思う人がいっぱいいても、会いに来てくれる人がいないのは悲しいことだと思っていたが、会いに来てくれる友人も増えた。
「もしも次に会った時に傷が増えていたら、あんたの目の前で手首切るからね」と言ってくれる人もできた。
そこから私は自分を傷つけるのをやめた。希死念慮も影を潜めた。
自分一人では変わることはできなかった。
詩人や小説家にはなれなかったが、たくさんの人との出会いによって、何者かになれたように思う。

「ヘッセ詩集」に、「ある幼な児の死に寄せて」という詩がある。
私が一番気に入っている詩だ。
生まれてすぐに死んでしまった幼な児に語りかけるような詩なのだが、最後をこう結んでいる。
「私たちの目の光がいつか消える時、幼な児よ、
この目はおまえの目より以上に
うつし世をよく見はしなかったと、幼な児よ、
私たちはきっと思うことだろう」
中学生の頃の私は何も見えていなかったし、見ようともしていなかった。
高校生になって恐る恐る薄目を開けたら、うつし世は案外綺麗だった。
事件や事故、病気にならない限り、死ぬのはまだまだ先のことだろうが、目の光が消える時、胸を張って、私はこの世界をよく見た、と言いたい。


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