ぶっちゃけ、私は矢沢永吉のファンではない。だからこの本を手に取ったきっかけは、よく覚えていない。最初に手に取ったのは図書館だったことだけは記憶している。
でもこの本を読み終えた次の日、私は会社帰りに本屋へ行った。もちろんこの本を買うために。それから人に会う度にこの本を薦め、ある年の納会でのビンゴの景品にこの本をチョイスした。私は一気に「成りあがり」の虜になってしまったのである。
この本は、日本を代表するロックスター・矢沢永吉の半生が綴られた本である。
半生と言っても当時28歳。広島での貧しい少年時代、上京してからの苦労話、伝説のバンド・キャロルの結成から解散まで、そしてソロデビューについて赤裸々に語っている。 時々きわどい表現が出てくるし、たまに言ってることがめちゃくちゃだ。でもスターになるためにやってきたことを自分の言葉で語っているからこそ、40年経った今でもたくさんの人に読まれているのだろう。
中でも私は92ページ目からの3ページが気に入っている。内容をざっくり言うと、おばあちゃんに買ってもらったドラムセットを、上京するのにあたり一旦預けたのだけど、取りに帰ると親戚のおじさんに取られていて返してくれなかった、というエピソードが書かれている。
私は落ち込んだ時、悔しい時、迷わず92ページ目を開く。「おまえら、全員見とけー!」と、どれだけ時間がかかっても全員を見返してやると決意した結果、それを成し遂げることができた。その様に元気づけられるのである。
特にこの半年間は、何回92ページ目を開いただろうか。
私は今年の1月に営業課長からパワハラにあった。月末の忙しい夕方の話である。腹の虫が悪かったのか、いきなり書類を投げつけられて、暴言を吐かれた。私は何も言い返すことができず、ただ睨むことしかできなかった。
その現場を目撃していたであろう人には「堪えろ」と一喝された。営業課長は役員のコネで採用された人物だから、おとなしくしておけってことらしい。
「何で私が堪えなきゃダメなの? 悪いのはあっちなのに……」
この怒りと悔しさを誰にも言うことができない。言ったところで仕方ないとなだめられるのに決まっている。私は我慢ならずに、次の日に会社を休んで労基署に相談しに行った。労基署の職員の人は「それはパワハラにあたると思います。ただ罰する法律はなく、民事で争うしかないです」と言った。やっぱりパワハラだったんだと心がすーっとしたのと同時に、解決するのは一筋縄ではいかないと落ち込んだ。
会社を休む際に「今から労基署行ってくるので休みます」と言ったせいか、出社すると事細かに総務はヒアリングしてきた。私は今回の営業課長の言動はパワハラであると認識しているが、会社としての見解を聞きたいと主張した。
総務は私だけでなく、営業課長、その場にいた人全員へのヒアリングを行った。早急な対応に期待したが、それは期待外れに終わった。会社としての見解はパワハラではないという回答に終わった。
それから約半年後。私は自宅から通いづらい部署に左遷させられることになった。入社する時に転勤なしという条件で入社したのに。きっとパワハラを告発したことが原因に違いない。
納得なんていくわけなく、一人で太刀打ちできる問題ではないと思い、私は社外の労働組合に入った。それから一度、会社と団体交渉をした。しかし会社は話し合う気などなく、「あなたは問題社員だから」と終始一貫して私を非難した。
「あなたのせいで取引停止になった」
「あなたのせいで人が辞めた」
「あなたは職場で孤立している」
もちろん事実無根のことばかり。そこまで言うなら証拠を出せと要求した。でも会社は「証拠は手元にあるけど見せることはできない」の一点張りで、話が噛み合わないまま団体交渉は終わった。
その日の夜、この機会に92ページ目からだけでなく、最初から読み直そうとページを初めに戻した時だ。ある一文に気付いた。
“攻撃することが生きることだ。”
過激な一文にハッとさせられた。この後にまだ文は続く。
“負い目をつくらず、スジをとおして、自分なりのやり方でオトシマエをつけてきた。休むわけにはいかない。やらねばならぬことは、まだある。”
今思えば団体交渉を終えたあの時、私は叫ぶべきだったのかもしれない。彼と同じく「おまえら、全員見とけー!」って。
そう思うと、私の中でバチッと火花が走った。
誰もが「ドラムセット」を抱えているはずだ。会社や学校でのポジションなのか、プライドなのか、物質的な何かなのか。それは人によって違うと思う。
彼はドラムセットを取り返さなかった。でも私は私のやり方でドラムセットを必ず取り返す。
多分険しい道のりになるだろう。くじけそうになる時も出てくるはずだ。その時はまた最初のページと92ページ目を開けばいい。
私は絶対に負けない。おまえら、全員見とけー!
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