優良作品 三万円

私の思い出の中の少年

読んだ本・『きよしこ』重松清

書いた人・夜明けのガス灯

 私は今、猛烈に後悔している。人生において「もしもあの時ああしていたら」なんて考えることはナンセンスだとよくわかっているが、読むとそんな風に思ってしまう、ほろ苦い思い出みたいな本だった。

 この本の主人公はきよしという男の子。彼は幼少時代のトラウマから吃音症になってしまい、上手く話せないのを隠したいがために言いたいことをいつも言えずにいる、そんな子だ。彼はカ行とタ行と濁音が苦手でいつも言葉を詰まらせてしまう。自分の苦手な言葉を言いたいときは、一生懸命頭の中ですんなり言えそうな別の言葉を探して口に出す。両親にすらなにか遠慮をしていて、クリスマスプレゼントに魚雷ゲームが欲しかったのに、「ぎょ」が言えないから飛行船の模型を頼んでしまうほどの内気な子だ。また、父の仕事の都合で転勤が多く、いつも「転校生」であるため、周りになかなかなじめない。こんな内気な子なら転校は辛かっただろう。ただでさえ自分の本心を言うのが苦手なのに、常に新しい環境に放り込まれたらすごく疲れるだろうなと思った。私はこういうタイプの子はじっくりつきあってこそよさがわかると思う。会話のキャッチボールは楽しめなくても、言葉を選んでゆっくり紡いでく子。私もそんな子を一人知っている。彼も転校生だった。

 彼は小学二年生の時に転校してきた。名前は大輔くん。彼もまた濁音が苦手だった。自己紹介の時、自分の名前を何度も詰まらせる彼に教室はざわついた。あの時私たちは、それがどうしようもないことだとは理解できなかった。「すっごく緊張してるぞ」とか「面白ーい」とか、みんなそれぞれが勝手なことを口々に言った。担任の先生に「静かにしなさい!」と叱られて、クラスは静かになったが、大輔くんは結局最後まで自分の名前を言えなかった。あの当時、私もまた静かな子だった。誰とも話さなくても一日いられるような、そんな子供だった。今の私を知っている人には、そんな私など想像もできないだろう。小・中学校時代の私は何をするにも自信がなく、積極的に輪の中に入ったり、自分から楽しい話題を見つけて話しかけたりできなかった。ただ、聞き上手だったので友達はいた。でも一番楽しいのは友達と話している時ではなく、一人でいろんな想像をしながら頭の中で物語を作っている時だった。

 大輔くんは私の家の近所に引っ越してきたので、朝の登校班と帰りの下校班が一緒だった。朝は一年生から六年生までみんな一緒なので七、八人いたが、帰りは二年生だけなので四人で、そのうち二人は学校からすぐのマンションの子だったので、途中からは大輔くんと二人で帰らなければならなかった。大輔くんは二人になると少しお話をしてくれた。ただ、何を言っているかよくわからないことが時々あった。今考えると自分の苦手な言葉を避けながら話していたら言いたいことにたどり着けなかったのかなと思う。大輔くんはランドセルにモンチッチのキーホルダーを付けていた。ある時私が「モンチッチ、私も好きなんだ。可愛いよね。」というと、大輔くんは「うん、可愛いよね。」と満面の笑みで答えた。本当はその時私はモンチッチをそんなに好きなわけではなかった。なにか話題を探していてそんな風に言ったのだ。でも大輔くんの笑顔がまぶしくて、モンチッチを少し好きになった。

 大輔くんはクラスでいつもひとりぼっちだった。いじめられていたわけではない。ただ、気がつくといつもぽつんと一人でいた。私はそんな大輔くんに話しかける勇気が持てなかった。ただでさえあまり話をしないのに、男子に話しかけに行くなんて自分にはできないと思っていたからだ。それに私はこれから卒業まで彼とずっと下校班が同じなのだから、いくらでも話せるんだと思っていた。でも、二年生最後の修了式の日、大輔くんがまた転校してしまうことが知らされた。大輔くんは来た時と同じように言葉を詰まらせながら「ありがとうございました。みんな元気で。」とあいさつをした。その日下校班に大輔くんの姿はなかった。お母さんと学校で手続きがあったのか、みんなと一緒には帰らなかった。私はちょっぴりさみしかった。もっとお話したかったなと思った。私は大輔くんの不器用な話し方が好きだった。こんなにも私に一生懸命何かを伝えようとして話しかけてきてくれる子はいなかったと思う。帰り道、急にひとりぼっちになってしまった気がして少し泣いた。

 春休みに入り、私が家族旅行から帰ってきた日、ポストに差出人のない私宛の封筒が入っていた。中を見るとモンチッチの消しゴムが一つ入っていた。それだけで誰からの贈り物かわかった。私はすぐに大輔くんの家に向かったが、もうそこには大輔くんはいなかった。私が旅行に行っている間に引っ越してしまったのだろう。封筒には手紙は入っていなかった。大輔くんはもしかしたら直接渡しに来てくれたのかもしれない、そう思ったら申し訳なくてまた涙が出た。

 その年のクリスマス、私はモンチッチの特大ぬいぐるみをサンタさんにお願いした。母は「もう三年生なのにぬいぐるみ?」と笑った。私はそのぬいぐるみに大輔と名付けた。家族には当時活躍していた野球の荒木大輔選手の名前をとったと話したが、本当はそうじゃない。そのぬいぐるみは今でも私のそばにいる。結婚して子供も二人いるが、子供たちもぬいぐるみをだいちゃんと呼んで可愛がっている。大分古くなってくたびれてきているが、なぜか私たち家族はだいちゃんが大好きで、まるで三人目の息子のように可愛がっている。私はいつも心の中でだいちゃんに話しかける。だいちゃんはそれに一生懸命答えてくれる。あの時の大輔くんみたいに。

 この本を読んでいくうちに主人公と大輔くんが重なって、あの子はこんなにも言葉を選ぶのが大変だったのか、言いたいことをこんなにも我慢していたのかと思った。だから私は今、猛烈に後悔している。もっとたくさん私から話しかけられなかったことを。どんな言葉だって私は聞くよ、だから言葉を選ばなくていいよと言えなかったことを。いつまでも待つからゆっくり話して大丈夫だよと声をかけられなかったことを。

 大輔くんは元気にしているだろうか。自分が思ったことを何でも話せる友達はできただろうか。今でもモンチッチを好きだろうか。そんなことを思いながらこの本を読み終わり、きっと彼も今、きよしのようにたくましく強く成長し、立派な大人になったに違いないと確信してなんだか嬉しくなった。いつかどこかで会うことができたら、モンチッチのぬいぐるみに大輔と名付けたこと、それくらい大輔くんとの思い出を大事にしていたことを話そう。きっとまた彼のあのまぶしい笑顔を見られるに違いない。


きよしこ (新潮文庫)
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