奨励作品 一万円

14歳の私も29歳の私も。ただ、美しい世界に浸りたかった。

読んだ本・『東京タワー』江國香織

書いた人・maruoデザイナー 圓尾 瞳

「世の中でいちばんかなしい景色は雨に濡れた東京タワーだ。」





この文章で始まるこの物語を、私はこの人生で何度読み返しただろうか。



目を閉じると雨の音が聞こえてくる。
雨の日に部屋の中で雨音を聞くのが好きなのは、雨のシーンが多いこの物語の影響かもしれない。



読むたびに、どうしようもなく、ああ、本当にこの本が好きだ、としみじみ思う。
主人公の詩史さんのようになりたいと心底思っていたし、彼女の使う言葉や仕草がとても美しくて、大人の女性って素敵だ、と14歳の私は強く憧れた。




美しく、感情に訴えかける言葉が好きな理由も、

強い言葉より、儚い言葉に惹かれる理由も、

余韻のある、奥行きのある文章がたまらなく好きなのも。





全部、この本に影響だ。
私の好き、が詰まってる。








「恋はするものではなくて、落ちるものだ――」



14歳の時にはじめて読んだこの本は、私からするととてつもなく大人の小説だった。

19歳の大学生の男の子と、年上女性との恋愛小説。
舞台は、東京タワーが見える街。

描写から浮かび上がる情景が目を細めたくなるほどに美しく、その世界にはゆったりとした時間が流れていて、そして、二人の発する言葉が、ただただ美しかった。
なんでもない日常さえも特別だと感じるような、そんな素敵な表現で溢れている。
大人になることを楽しみにさせてくれたのも、この本だった。




でもそんな美しいこの本を手に取るたび、初めて読んだ当時の自分を思い出し、ちくりと心が痛む。当時の自分自身の苦い思い出が脳裏によぎって、胸が締め付けられるような気持ちになる。
未熟な、傷つきやすい14歳の私の肝心な芯の部分を形成したのは、間違いなくこの本だ。



もともと、そんなに本を読むタイプではなかった私が読書にはまるきっかけになったのは、度重なる転校だった。
転勤族のような家庭に育った私は、3つの中学校と、2つの高校に行った。


コミュニケーション力が低く、かろうじてみんなと話すことはできるけれど、一歩踏み込んで仲良くなることができなかった私は、放課後や休日に遊びにいけるような友達がなかなかできなかった。学生時代、逃げるように本を読みあさった。


多感な時期に心の許せる友達がいないというのはなかなかきついものだったけど、でも小説は、私を別の世界へと連れて行ってくれた。小説をたくさん読んだことで、小さなクラスの中では知り得なかった、あらゆる世界を知ることができた。


いわば私にとって、本を読むことは現実逃避であり、そして、新しい世界を見るためのかけがえのない旅だった。
読んでいる間だけは、日常のきつい生活を忘れられて、美しい世界に浸ることができた。


だから、選ぶ本はできる限り心を豊かにしてくれるような美しいものがよかった。
日常では経験できない美しい場所へ行きたかった。



読書にはまったとき、軽い気持ちで家にあった江國香織さんの本を手にとった。特に進められて読んだわけではなく、とても自然に手にとって何気なしに読み始めた。彼女の描く大人の女性がとても美しくて、その魅力に一瞬にしてはまっていった。家にあった何冊かの小説をあっという間に読み終えたあとは、図書館に行って彼女の本をひたすら読んだ。


彼女が描く日常は、なんでもない日常でさえ、たまらなく美しいのだ。


すぐそこにありそうな世界なのに、言葉ひとつでこんなにも世界は美しく見える。言葉が見える世界を変えてくれる。そんなことに気づけたのも、彼女の本を読んだからだった。


図書館の江國香織さんの本を一通り読み終えたあと、もっと読みたいという気持ちが抑えられなかった私は本屋さんへ行った。そこで、初めて自分のお小遣いで買った本。
それが「東京タワー」だった。
本屋さんで買うと、カバーをかけてもらえる。図書館で借りてばかりだった私は、そんな小さなことすら嬉しかった。

なんでも、初めてって特別だ。そんな、思い出補正もかかってる。



自分で買った本。
一文一文、丁寧にすくい取るように、こぼしてしまわないように大切に読んだ。
贅沢に時間をかけて味わって読んだ。
読み終えるのがとても惜しかった。
それは私にとって、特別な時間だった。




「東京タワー」の文字を見るたびに、感傷的な気持ちになる。

この本を読んでいたあの時期に毎晩書いていた日記のことを思い出したり、
心を打ち明けることができなかった環境にいた言いようのない寂しさが蘇ったりする。

痛みを帯びた苦い記憶が一緒になっているからこそ、
私にとってこれほどに特別なのかもしれない。



久しぶりに読み返して、あまりに自分がこの本から影響を受けているんだという事実に思わず苦笑する。


自分のお店を持ちたいと思ったのも、
自分で事業をしたいと思ったのも、
パリに惹かれるのも、
エモーショナルな表現をしたがるのも、
ゴルフをする男性が嫌いなのも。

10代の頃、東京に強い憧れがあったのもこの本のせいなんだろうな、と思う。

私の小さないくつもの価値観や好みが、この本を読んだことで形成されたんだな、って。
過去の自分へ旅しているような気分になる。




そんな、私にとって特別な本。
実は、読書感想文の一冊にこの本を選ぶかすごく迷った。
本当に好きなものはこっそりと、そしてしっかりと自分の近くに、誰にも見えない場所においておきたい。誰かに勧めたい気持ちがなく、むしろ私だけのストーリーにしたかった。

学校の図書館に置いてあったこの本を、他の人に読まれたくなくて、何度もなんども繰り返し借りた。ある種の独占欲が働いてしまうくらい、この物語に、うまく表現できないくらい虜だった。

でも、それくらい、私の人生を作ってくれた一冊だから。
たぶんこの本を読んだ誰よりも、私がこの本に深い思い入れと感謝の気持ちを持っているから。私が書きたいな、と思った。


たぶんこれからも、人生の節々でこの本を手にとっていくんだろうなと思う。
その度に私は、当時の青い私を思い出しては砂をかむような思いになり、でも、あの時ほど人生はきつくないよ、ってその時の私に言うんだと思う。

未来はそんなに悪くないよ、って。



雨の日に、静かな室内楽を聴きながら思う。

この本が、未来の私にとっても
心を落ち着けるための場所になってくれたら、と。


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